足あとが散ってなくなるまえに  第一話

東京の北東部、足立区に梅田という場所がある。

梅田とあるから梅の木が沢山あるかと思うが、

地名につける程、梅の木があるわけではない。もちろん梅の名所でもない。

風土記によると、大昔この地域一帯は海に面した河口付近であったらしい。

そこを埋め立てて新田を開いたので、「埋田」⇒「梅田」になったということ。

今の東京の地図を見ると、梅田が海に面した河口付近だったとは想像しにくい。

いったい、大昔の東京は海がどれほど広かったのかと思う。

今では河口付近の面影も、埋め立てた痕跡もない。

 

その梅田に僕の実家がある。美容院をしている。

祖母、母、妹と三代続いている。三代続く美容院は、ほとんど、ない。

屋号は「スミ美容室」。祖母の名前だ。

僕が生まれる前、父が学生の頃から営業しているから60年以上続いてる。

凄いことだと思う。何故、実家は半世紀以上も続けてこれたのだろう・・・。

 

美容院は、綺麗になる為に行くところ。これは今も昔も変わらない。

30年ほど前までは女の人、特に主婦達の社交場だった。

いや、サンクチュアリと云ってもいいだろう。

彼女たちは、日々の生活で積り、重なった怒り、恨み、不平、不満を吐き出し、心を秋の青空のようにし、隣近所の噂話をして単調な毎日を春の花畑のようにし、自慢話をしては優越感に浸る。

さらに彼女達は、自分の話をしながらも隣の話に聞き耳を立てることを忘れてはいない。彼女たちにとって美容院は、日々の生活を続けていく為に必要不可欠な存在だった。

美容院とは、そのような存在だった。

毎日そのような話をしていれば、美容院には当然、負の気が澱んでくる。

それを美容師達は、ドライヤーの風で吹き飛ばし、シャンプーで洗い流す。そうやって負の気が沈殿しないようにしていた。

しかし、経営者の加齢とともに、負の気を排除する機能が衰えて、うまく作動しなくなり廃業してしまう。そうなる前に若い人に店を譲らなければならない。

幸いにも祖母は、早い段階で母へ店を譲った。そのタイミング、時代の空気を感じるセンスは見事というほかない。しかも祖母は、譲ったからといって辞める訳ではなく、自らの仕事をしつつ母の補佐もし、少しずつ自分の仕事の量を減らし、徐々に表舞台から消えていった。引き際も見事でかっこいい。

さらに、スミ美容室には住み込みで四人の若い女の子達がいた。常に四人いて、辞めて欠員がでると、祖父が東北の美容学校まで行き、素直で真面目そうな子を連れてくる。彼女達は、毎日毎日、シャンプーやブローをし、祖母や母の補助をしながら技術を身につけてゆく。エンジンに例えるなら彼女達はターボチャージャーだ。負の気を吹き飛ばすには充分過ぎるパワーがある。

僕が小学生の頃までは、全てが上手く機能し、他の美容院が傾いていくなか、凄く忙しい店だった。

しかし、祖父が病気で倒れ、住み込みのお姉さん達も結婚したり、他店にいったり、一人一人と辞めていくと、店も徐々に影が差してきた。

そのころから美容院の存在理由も変わってきた。

技術者やお客に男性が進出しはじめ、男女の区別がなくなり、美容院もお洒落になった。美容師は時代の先端を行く存在となり、ファッションの欠かせない一部となった。呼び方も変わり「先生」は、トップスタイリスト。「見習い」は、アシスタントと呼ぶ。美容師は、ヘアーアーティストやメイクアップアーティストなどと呼ばれ、今や芸術家となってしまった。

そして、主婦達の社交場は公園へと移り、お洒落になった美容院では、愚痴など話すのは、場所をわきまえない恥ずかしい人になってしまう。そこでは、趣味や流行などの話をし、不毛な会話をすることが良いこととされている。

そして、静かで心地よく、リラックスでき、綺麗になったと錯覚させてもらえるような話術、技術がないと容赦なく捨てられてしまう。

 

変わりはいくらでもあるから....

 

スミ美容室は、妹の代になって数年経つが、なんとかやっている。

昔のような活気のある店には二度と戻らないが、現代のニーズにも対応し、昔の雰囲気が少し残る落ち着いた店になっている。

それは、足立区の梅田という土地柄のせいもあるだろう。

妹の美容師としてのセンスは、かなり良いとおもう。妹の夫も美容師だ。

子供は女の子と男の子、二人いる。女の子の方は、このまま成長すれば間違いなく美容師になり店を継ぐだろう。そうなれば四代目となる。

一世紀続く美容室も夢ではない。